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高齢でも元気に働く秘訣とは?定年制廃止の可能性と生きがいを見つめ直す

今日は、最近読んだ「定年制の廃止」と「退職後の健康寿命」に関する記事について考えたことを書いてみようと思います。記事では、定年制の廃止が日本社会に与える影響や健康寿命に及ぼす可能性について述べられていました​。この記事を読んでいると、10年ほど前に出会った大工さん一家のおじいさんのことを思い出しました。彼の姿は、まさにこの記事の内容を体現しているかのようでした。

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10年前に出会った80歳の大工さん

その大工さんは、当時80歳を迎えていたのにもかかわらず、驚くほど若々しく、体格も良く、まるで60代のような活力を持っていました。特に驚かされたのは、「まだ上棟式の時には棟まで登る」と話していたことです。大工という職業は、体力を要するうえ、高所での作業も必要です。それにもかかわらず、80歳になってもなお、現役で働き続ける彼の姿勢に心底驚かされました。そしてその時、「自分もこのように、年を重ねても現役でいられるようになりたい」と強く思ったことを今でも覚えています。

定年制廃止がもたらす可能性

記事によれば、定年制を廃止することで人手不足が解消され、税収が増え、さらには健康寿命の延長に繋がる可能性があるとされています​​。60歳や65歳が引退の基準とされていますが、農家や漁師、そして大工さんのように、体を動かし続けている人たちにとっては、この年齢でもまだまだ現役で働ける状態です。こうした元気な高齢者の姿を見るたびに、引退年齢の画一化が本当に必要なのかと考えさせられます。

働き続けることの意義:元気な高齢者たち

農家や漁師、大工のように、日々の労働を通じて体を動かし続けている高齢者たちは、一般的な退職者とは異なる健康状態を維持しています。彼らに共通するのは、常に仕事があることで日々の生活に張りが生まれ、体力だけでなく心の健康も保たれている点です。特に、前述の大工さんのような方々は、ただ仕事をするだけではなく、仕事そのものが生きがいになっていることがよくわかります。この点は、「退職後に急激に老け込むことがある」という記事内容とも繋がっています​​。

私自身の考えと将来への不安

私自身も、いつか迎える「退職後の生活」に対して漠然とした不安があります。体を動かすことが減り、生活リズムが崩れることで健康を損なうのではないか、という心配があります。大工さんの話を思い出しながら、自分もできるだけ長く働き続け、社会との関わりを持つことが重要だと改めて思いました。高齢になっても自分なりに体を動かし続けることが、心身の健康維持に繋がるのではないかと感じています。

周囲の反応と変わる価値観

定年後の生活や働き方について、周囲の友人や同僚と話す機会がありました。若い世代の中には早期リタイアを望む人も多いですが、年配層は「働くことで得られる社会的なつながり」を大切にする傾向があります​。大工さんや農家、漁師のような高齢者たちは、生きがいや仕事を通じたコミュニティへの関与を大切にしているのでしょう。

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結論:自分の働き方と生き方を考えるきっかけ

記事の内容と、元気な高齢者の姿、そして大工のおじいさんのエピソードから学んだことは、「退職後も何らかの形で働き続けることの意義」です。定年制の廃止や延長が日本社会に与えるポジティブな影響に加え、一人ひとりの生きがいや健康維持に寄与する可能性があります。

終わりに

これからも自分の人生において、どのような働き方や生き方が最適かを考え続けたいと思います。皆さんも、退職後の生活や仕事について、ご自身にとって何が最善なのかを一度じっくりと考えてみてはいかがでしょうか。

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吉備の鬼・温羅の物語:英雄か悪役か?

「桃太郎の敵」とされる温羅(うら)は、吉備津神話において大国主命(おおくにぬしのみこと)の子であった可能性も語られています。彼は本当に「ただの鬼」だったのでしょうか?私自身も子どもの頃に吉備津神社で「鳴釜神事(なりがましんじ)」を見学したことがありますが、温羅がこの神事や神話の中心にいることを知ったのは大人になってからです。彼が持つ神話的な背景を掘り下げることで、温羅が単なる悪役ではないことが浮かび上がります。

吉備地方の立ち位置:神話と歴史が交差する古代の中枢

古代日本において、吉備地方は大和朝廷に次ぐ政治・経済の中心地でした。吉備津神話に登場する大国主命は、この地方を守る神とされ、その子である温羅は、この地を守る存在として神話の中に登場します。吉備地方は古代日本の文化や神話が色濃く残る場所であり、温羅がこの地で神格化されるのも、古代の神々の影響を受けた地域だからこそです。

温羅の正体:大国主命の子であり百済の王子という説

温羅が大国主命の子とされる一方で、百済の王子であったという説もあります。これにより、温羅は神話的存在としての側面と、歴史的な人物としての側面を同時に持つことになります。温羅は、吉備地方を守護する神の子としての使命感を持ち、また百済からの亡命者として独自の政治的意図も抱いていたかもしれません。これにより、温羅は単なる「鬼」ではなく、複数の文化や神話が交錯する存在となり、彼が吉備地方においてどれほど複雑な役割を果たしたかが明らかになります。

吉備津神話と温羅:神話的背景の探求

吉備津神話では、吉備津彦命が温羅を討つ物語が語られます。この物語は、桃太郎伝説に受け継がれた「鬼退治」として知られますが、神話的には吉備津彦命大国主命の子である温羅を征伐するという構図が見られます。吉備津彦命は、朝廷の使者として吉備地方の秩序を確立する役割を担い、温羅はその秩序に抗う神の子として描かれます。この神話的対立は、古代の神々同士の覇権争いとも解釈でき、吉備地方の神話の複雑さを浮き彫りにします。

日本古代史ネット【特別保存論文】|温羅伝説を考える(上)――こんな物語だった「次々実在人物を取り込む」

温羅の視点:神の子としての正義

温羅は大国主命の子として、吉備の地に神々の庇護をもたらす存在でした。彼にとっての「正義」とは、異文化や新たな支配勢力から吉備地方の伝統と土地を守ることでした。温羅が神話上の存在であると同時に、歴史的な人物として描かれることにより、彼の物語は単なる善悪の物語ではなく、深い神話的な意味合いを持ちます。温羅の視点から見れば、彼の戦いは父・大国主命から引き継いだ神聖な使命であり、吉備地方を守るための「正義」だったのです。

温羅を「鬼」とした理由:神話と政治の交差点

温羅が「鬼」とされた背景には、神話的な象徴とともに、政治的な要素が関係しています。大国主命の子である温羅が、朝廷にとって邪魔な存在であったことは間違いありません。異文化の代表者であり、神々の血を引く者を「鬼」として描くことで、支配者層は彼を非人間化し、正義を確立しようとしました。温羅は単なる敵ではなく、神々の庇護と人間社会の秩序の間で揺れる存在だったのです。

鬼に出会う吉備路-温󠄀羅伝説

現代における温羅の再評価:英雄か、それとも神話の象徴か?

現在、温羅は地域文化の象徴として再評価されています。岡山では温羅を称える祭りが行われ、彼が神話的な存在としての「守護者」として語り継がれています。彼の物語は、単なる悪役の鬼ではなく、吉備地方における神話と歴史の交差点を象徴するものとして、現代においても再解釈されています。温羅の神話的な背景を理解することで、読者は古代日本の複雑な文化と価値観をより深く理解できるでしょう。

結論:温羅は英雄か、悪役か?

温羅は、大国主命の子として、百済からの亡命者として、そして吉備地方の守護者として、さまざまな顔を持つ人物です。彼の物語には神話的な深みがあり、征服された側の視点や、古代の神々の複雑な関係を示唆しています。温羅は単なる「鬼」ではなく、神話的存在として、また歴史の一部としての多面的なキャラクターです。彼を悪役としてだけでなく、彼の背後にある神話的・歴史的な背景を考え、温羅の物語を自分なりに再解釈してみるのもおもしろいのではないでしょうか。

 

 

桃太郎伝説を紐解く:歴史が語る英雄と神話が生む鬼

■ 桃太郎と私の小さな思い出

子どもの頃、岡山にある吉備津彦神社を訪れたことがあります。学校の遠足で見学した「鳴釜神事(なりがましんじ)」という占いの神事で、釜の音が鳴るかどうかで吉凶を占うものです。友達の一人が「釜が鳴った!」と大喜びしていたのを覚えていますが、正直、私はその瞬間をはっきりと覚えていません。大人になって再び訪れた時は、残念ながら改修工事中で神事を見学することはできませんでした。

このように、私にとって桃太郎の伝説は単なる昔話ではなく、実際に訪れた場所や体験に結びついている特別な物語です。でも、皆さんはご存知でしょうか?桃太郎の物語には、深い歴史や神話的な背景があるのです。今回はその奥深さに迫ってみましょう。

■ 歴史が語る桃太郎の英雄譚

桃太郎の物語は、日本の伝統的なおとぎ話として広く知られています。桃から生まれた勇敢な少年が、犬、猿、キジの仲間たちと共に鬼ヶ島に向かい、悪い鬼を退治するという物語です。しかし、この物語には実在する古代の英雄「吉備津彦命(きびつひこのみこと)」が関係していることはご存知でしょうか?

吉備津彦命は、3世紀頃の古代日本で活躍した英雄で、岡山を含む「吉備の国」を支配した豪族の一人とされています。彼は「温羅(うら)」という外敵を討伐したことで知られ、温羅は桃太郎の物語に登場する「鬼」として描かれています。つまり、桃太郎の鬼退治は、実際の歴史的な戦いに由来する可能性が高いのです。

桃太郎の物語は、このように吉備津彦命という歴史上の人物と結びついているため、単なる昔話ではなく、古代の日本で起こった出来事が物語に反映されていると考えられます。吉備津彦命の勇気や正義が、桃太郎の英雄的な側面に重なり合い、長く語り継がれてきたのでしょう。

japan-heritage.bunka.go.jp

■ 神話が生む桃と鬼の象徴

桃太郎の物語には、神話的な要素もたくさん含まれています。その象徴的な存在が、「桃」と「鬼」です。

  • 桃の神話的意味

    日本では、桃は古くから「邪気を払う」力を持つとされてきました。邪気払いだけでなく、「不老長寿の果実」としての象徴性もあり、健康や長寿を願う思いが込められています。桃太郎が桃から生まれるシーンは、こうした神話的な意味を持ち、単なる偶然の誕生ではなく、神の意志が介在する特別な誕生だと捉えられます。
  • 鬼の神話的解釈

    物語に登場する「鬼」は、ただの悪者ではありません。日本の神話では、鬼はしばしば「異界からの存在」や「外部の脅威」を象徴します。異民族や異文化を表すこともあり、古代の日本においては侵略者や恐怖の対象とされてきたのです。桃太郎が鬼を討つことは、単に悪を倒すことではなく、異界の存在を克服し、平和と正義を取り戻すという意味合いが込められています。

■ 岡山の地域文化と桃太郎伝説

桃太郎の物語は、岡山の文化や観光にも深く根付いています。JR岡山駅前には「桃太郎像」が立っており、観光客にとって人気の撮影スポットとなっています。毎年8月に開催される「おかやま桃太郎祭り」では、桃太郎をテーマにしたパレードや花火大会が行われ、多くの人が参加します。

また、吉備津神社では今でも「鳴釜神事」が行われており、古代の伝統が現代にも生き続けています。ここでは、占いの釜が鳴るかどうかによって運勢が占われ、地元の人々や観光客にとって神秘的な体験となっています。そして、桃太郎が仲間たちに与えた「きびだんご」も、岡山の名産品として今も愛されているのです。

■ 次回予告:鬼・温羅の視点から見た桃太郎伝説

桃太郎は日本の英雄として広く知られていますが、彼が討った「鬼」である温羅にもまた、異なる物語が存在します。温羅は吉備の地に深く関わる存在であり、古代の戦士であると同時に、異文化を象徴する存在でもあったかもしれません。次回は、この温羅の視点から見た物語に焦点を当て、彼の真実に迫ります。

■ 結論:桃太郎の物語が持つ多層的な意味

桃太郎の物語は、勇気や正義を象徴するだけでなく、歴史と神話が織り成す複雑な物語でもあります。英雄としての桃太郎、そして異界の存在としての鬼、どちらの視点も理解することで、より深く日本の文化と伝説を味わうことができるでしょう。次回の温羅視点の記事をお楽しみに!

 

 

鹿児島と宮崎の巨人伝説「弥五郎どん」!1000年の歴史が今も息づく祭り

鹿児島や宮崎で毎年行われる「弥五郎どん祭り」をご存知ですか?このお祭りでは、高さ4メートルを超える巨人の人形が町を練り歩くという、非常に迫力ある伝統行事が行われます。実はこの弥五郎どん、隼人(やはと)族の伝説隼人の反乱とも深く関わっているのです。その歴史は1000年以上も続いており、今でも地域の人々に大切に守られています。この記事では、そんな「弥五郎どん」について、その歴史や見どころをわかりやすくご紹介していきます!


弥五郎どんって何?

弥五郎どんは、鹿児島や宮崎の伝統的な祭りに登場する巨大な人形です。この祭りは、毎年秋に行われ、弥五郎どんの高さはなんと4メートル以上!その巨体に赤い顔、黒い髭、そして腰には刀を2本差し、堂々たる姿で町をゆっくり進んでいきます。その姿は、まさに「巨人」の名にふさわしい迫力です。

この巨人は、古くから村や地域を守る守護者として崇められてきました。地元の人々は、弥五郎どんが悪霊や災害を追い払い、村の平和を守ると信じています。


隼人の反乱と弥五郎どんの起源

弥五郎どんの伝説は、古代日本に存在した隼人(やはと)族という部族に由来しています。隼人族は、現在の鹿児島や宮崎の一帯に住み、勇猛な戦士として知られていました。しかし、彼らは中央の律令国家に対してしばしば抵抗していました。特に有名なのが、**720年(奈良時代)**に起きた「隼人の反乱」です。

この反乱では、隼人族が中央政権に対抗し、自分たちの独自の文化や土地を守ろうと戦いました。しかし、最終的には朝廷側に鎮圧され、多くの隼人が犠牲となりました。この隼人族の首長こそが、後に伝説となった「弥五郎どん」だと言われています​。

山之口弥五郎どん祭り(11月3日) - 宮崎県都城市ホームページ

弥五郎どん祭りは、こうした反乱で命を落とした隼人族を供養し、彼らの勇気を称えるために行われる行事です。この祭りを通じて、隼人族の誇りと精神が現代にまで受け継がれています。


弥五郎どん祭りの魅力と見どころ

弥五郎どん祭りは、毎年11月3日に行われます。鹿児島県曽於市岩川や宮崎県都城市山之口など、さまざまな地域で行われ、それぞれの場所で少しずつ異なる風習があります。2024年も11月3日に開催予定です。

【鹿児島県 曽於市 岩川】

この地域の弥五郎どんは、町の中心を堂々と進む姿が印象的。巨大な人形が太鼓の音と共にゆっくりと進む様子は、まさに歴史を感じさせます。

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【宮崎県 都城市 山之口】

都城の弥五郎どんは、赤い顔に黒髭、腰には刀を差し、頭から槍が突き出た勇ましい姿。特に神社から行われる「浜殿下り」という行列が見どころで、隼人族の首長としての威厳を感じさせます。

www.youtube.com


隼人族と薩摩藩の関係

隼人の反乱が鎮圧された後、隼人族の領地は薩摩藩支配下に入りました。しかし、弥五郎どんの伝説は薩摩藩の時代でも絶えることなく、むしろ島津家によって守られました。薩摩藩は、この地域を安定させるため、弥五郎どんを守護神として崇め、地域の平和と繁栄を祈願するために祭りを続けたのです​


現代でも続く弥五郎どん祭りの意義

現代においても、弥五郎どん祭りは地域の絆を強め、誇りを次世代に伝える重要な行事です。住民が力を合わせて、数ヶ月かけて巨大な弥五郎どんを作り上げるプロセスは、地域の結束を強める象徴とも言えます。また、弥五郎どんに触れると無病息災が約束されるという言い伝えもあり、地域住民にとっても神聖な存在です​。


まとめ:弥五郎どん祭りに行ってみよう!

弥五郎どん祭りは、古代の隼人族の勇気地域の歴史を感じられる壮大な伝統行事です。鹿児島や宮崎で行われるこの祭りは、1000年以上続く伝説が息づく場であり、毎年多くの観光客がその魅力に引き込まれています。

2024年も11月3日に開催予定の弥五郎どん祭り。ぜひ、その迫力ある姿を目の前で体験し、古代から続く伝統と地域の熱気を肌で感じてみてください!